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鹿児島地方裁判所 昭和53年(行ウ)6号 判決

原告 栫實

被告 鹿児島県知事

代理人 北原久信 浜屋和宏 浦田重男 ほか三名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が原告に対し、昭和五三年六月一九日精神衛生法二九条の規定に基づいてなした入院措置の処分を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文と同旨

第二当事者の主張<略>

第三証拠<略>

理由

一  請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

二  法二九条一、二項によれば、都道府県知事は、法二七条の規定により鑑定医が警察官の通報等に係る者を診察した結果、被診察者が精神障害者であり、かつ、医療及び保護のため入院させなければその精神障害のために自身を傷つけ又は他人に害を及ぼすおそれがあると認めたときは、右認定について二人以上の鑑定医の診察結果が一致した場合に、入院措置をすることができる、とされており(この点については当事者間に争いがない)、法三条によれば、「精神障害者」とは、精神病者(中毒性精神病者を含む)、精神薄弱者及び精神病質者をいう、と規定されている。

しかして、<証拠略>によれば、昭和五三年六月一二日付で、志布志署長から被告宛に、原告に関し「原告は、かねてから精神障害の疑いがあり、『隣家の倉ヶ崎が稲荷さんをけしかけるので、警察の手で掴まえられないなら自分の手で処理する。』と申し立てていたところ、同月九日午前〇時三〇分頃、道路を歩いている倉ヶ崎喬に飛びつき、『泥棒を掴まえた。お前はいつでもお稲荷さんを家にやる。』と言つて、同人に傷害を与えた。このまま放置するといかなる事件に発展するかもしれないので、早急に入院措置が必要と思われる。」旨の法二四条に基づく精神障害者等発見の通報がなされたこと、そこで、被告は、法二七条により、鑑定医田口勇及び同大重源治に対し原告の診察を命じ、同月一九日、両鑑定医は、いずれも原告には妄想(田口勇は幻覚も存する、という)が存し、「精神分裂病」に罹患した精神病者であり、かつ、医療及び保護のため入院させなければその精神障害のために他人に害を及ぼすおそれがある旨の一致した鑑定結果を出し、被告は、同日法二九条一、二項に基づいて本件処分をなしたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

三  原告は、前記鑑定医田口勇は、右鑑定に先立つ昭和五三年一月一七日にも被告の指示で原告を診察し、「要入院措置」の診断をしており、本件鑑定において同様の診察結果が得られることは自明であるにも拘らず、被告が同鑑定医のほか大重源治の計二名だけに原告を診察させたことは、鑑定医の選定について被告の裁量権に著しい逸脱があつたと主張する。

鑑定医田口勇が本件鑑定に先立つて同年一月一七日に原告を診察し、「要入院措置」の診断をしていること及び本件処分に際し同人及び大重源治の両名が鑑定医として原告を診察していることは当事者間に争いがない。

ところで、法二九条二項が、措置入院の場合にその要件について二人以上の鑑定医の診察結果が一致することを必要としているのは、措置入院が人の身体的自由に対し直接強制を加えるものであり、それが適正に行使されないときは重大な人権侵害のおそれがあるところから、その要否の判定について慎重を期し、複数の鑑定医をして専門的見知から診察せしめ、入院措置を要する旨の結論が一致したときに始めてこれを採ることができるとしたものである。しかして、都道府県知事が、どの鑑定医に被診察者を鑑定させるか、あるいは二人以上何人までの鑑定医を選定するかは、その裁量に任されるものであるところ、右規定の趣旨を斟酌しても、措置入院のためには、二人の鑑定医の診察結果がその要件について一致すれば足りるものであり、これ以上に、既に同一の被診察者を診察して「要入院措置」の診断をした鑑定医は排除すべきであるとか、右の鑑定医に再度鑑定させる場合はそのほかにさらに二名以上の鑑定医を選定すべきであるということにはならないと思われる。本来、鑑定医は、精神障害の診断又は治療に関し少くとも三年以上の経験がある医師のうちから厚生大臣がその同意を得て指定するものであつて(法一八条一項)、その資格について一定の条件が定められているものである。そして、同一の被診察者を鑑定医が再度診察する場合にも、診察の時期を異にするときは、被診察者の生活環境や問題行動、精神及び身体の状況その他の診断対象となる諸々の事項において、当然変動や推移が伴うものであり、これに基づいて得られる診断が常に同一の結果をもたらすとは断じ難いといわなければならない。

右の如き事情に加え、後述するような本件処分がなされた経緯を考慮すると、被告が本件において鑑定医田口勇及び同大重源治の両名を鑑定医に選定したことをもつて、手続上裁量権の逸脱等の違法な点があつたということはできない。

四  原告は、被告は本件処分に際し、前記両鑑定医の診察結果の報告を受けないまま、原告に対し入院措置を施した旨主張する。

しかしながら、鑑定医田口勇及び同大重源治がいずれも昭和五三年六月一九日原告を診察して「要入院措置」の診察結果を出したことは前述のとおりであるところ、<証拠略>によると、右両鑑定医各作成の精神衛生鑑定書はいずれも同日以後に被告に提出されているけれども、右診察結果については、同日右各診察に立ち会つた精神衛生吏員にその場で口頭をもつて伝達され、同吏員を通じて被告に報告されていることが推認でき、これを覆すに足りる証拠はない。

従つて、原告の右主張は採用の限りでない。

五  そこで、原告が本件処分当時、精神障害者であり、かつ、医療及び保護のため入院させなければその精神障害のため他人に害を及ぼすおそれがあつたか否かについて検討する。

1  <証拠略>を総合すれば、原告の家族構成、生活状況並びに本件処分以前の事情等は次のとおりであると認められ、証人栫ユウ子の証言中右認定に反する部分は措信できず、他にこれを覆すに足りる証拠はない。

(一)  原告方は、鹿児島県曽於郡大崎町永吉の純農村地帯にあり、周囲を杉、孟宗竹、雑木などに囲まれた広大な敷地の中に、四棟の家屋、牛、豚小屋、墓などが点在し、原告(大正四年五月二〇日生)のほか原告の母、兄進、弟誠蔵、妹松田フキ、同ユウ子、松田フキの子二名の計八名が居住しており、田八反歩、畑一町歩位を原告が中心となつて耕作し、牛数頭、豚十数頭を飼育していた。しかして、原告方と周辺地域社会との交際関係はほとんどなかつた。

(二)  原告方に隣接して倉ヶ崎家があり、倉ヶ崎甚右衛門夫婦及びその子喬夫婦らが居住していたが、原告方と倉ヶ崎方との間には、昭和三八年頃から両家の宅地や畑などの境界をめぐつて紛争が継続し、原告方から被告方を相手方として訴訟を提起したりしたが、昭和五一年七月頃裁判上の和解が成立し、両者間の境界問題は一応結着をみた。

原告は、右の紛争が始まつて間もない頃から、時折甚右衛門らに対し、同人が原告方に「お稲荷さん(狐)をやる。」と言つていたが、昭和四七年頃、婚家先から二人の子を連れて原告方に戻つた松田フキがヒステリー痙攣を起した際、原告の母が「娘に狐がついた。」と称して狐を叩き出したということがあり、その頃から、原告方家族全員に、倉ヶ崎方から原告方にお稲荷さん(狐)を追いやり同人らを苦しめるという被害妄想が集団感応的に固着し始めた。

なお、倉ヶ崎家は、永吉部落にある駿河稲荷神社の代宮司を勤めており、同神社の年二回の祭祀等を司宰していた。

(三)  原告は体格がよく、行動的であつたが、原告方家族の中でも右の被害妄想が強く現われ、夜半、お稲荷さんが屋敷内にやつてきて、投石したり、杉の木を傷つけたり、牛小屋の牛に咬みついたりすると言い、これを防衛するためと称して、庭先で不寝番をしたり、牛小屋に泊り込み、狐の「サツサツ」と歩く音や「チツチツ」あるいは「チーチー」と鳴く音を幻覚すると、その方に向つて投石するなどし、また、お稲荷さんの侵入に備えて八頭位の番犬を屋敷内で飼い、昭和四九年頃からは、手製の半鐘を豚小屋に吊るし、夜半、お稲荷さんの侵入を感じると、半鐘をハンマーで打ち鳴らして家族を呼び起し、全員でその方に向つて投石したりするようになつた。右半鐘は原告方周囲半径数百メートルにわたつて鳴り響き、しかも、その打ち方が三点鐘で火災発生の報知と紛らわしく、付近住民の安眠を妨げるので、消防団員や志布志署員が原告に止めるように説得したけれども、原告はこれに応じなかつた。

(四)  原告の前記のような行為は、昭和五一年頃から昭和五三年頃にかけて次第に頻繁となり、夜半あるいは明け方に再三にわたり志布志署永吉駐在所に電話をしたり、同駐在所に赴いて同署員に「お稲荷さんが来て眠れないから、すぐ来てほしい。」と訴え、同署員が求めに応じて原告方で夜間の見張りをしたが、原告のいうお稲荷さんや狐の侵入したと思われる痕跡は全く発見できなかつた。そのため、同署員は原告に対し、侵入者の証拠をあげるようにと言つたこともあつた。右見張りの際など、原告は投石用の石塊を前に積みあげて藪の中に潜み、妹ユウ子が鎌をもつて別の所へ隠れており、また、松田フキは、狐がつかないようにと称して、同人の頭に人糞を乾燥したという粉を入れた布を巻きつけていた。そして、原告宅内部は汚れていて不潔であり、原告は長期間入浴しないでも意に介しないでいた。

(五)  昭和五三年に入り、原告の兄進が志布志署に対し銃砲所持の許可申請をし、原告からも「お稲荷さんを射つのにどうしても銃がほしい。」との申入れがあつたが、同署員は右進を説得し、右許可申請を取り下げさせた。

原告は、この間、倉ヶ崎甚右衛門及び同人が昭和五二年一一月死亡した後は倉ヶ崎喬に対し、時折「お稲荷さんがくるので夜も眠れない。お前がお稲荷さんをやるだろう。」と詰め寄つたことがあつたが、同人らに対し危害を加えたことはなかつた。しかし、右銃砲所持の許可申請をした頃から、原告は、永吉駐在所や志布志署を訪れ、応対した同署員に対し、「警察でお稲荷さんを掴まえてほしい。掴まえてくれないなら鉄砲や弓で自分で射ち殺してやりたい。」と言うようになり、被害妄想が昂じて他人に危害を及ぼすおそれも無視し難くなつた。

(六)  このような原告の異常な言動に伴い、志布志署長は被告に対し、昭和五一年一一月一七日付、昭和五三年一月七日付、同年六月一日付で、原告に関し法二四条の規定に基づく精神障害者発見の通報を行い、被告はその都度、鑑定医に命じて原告の診察をさせた。

右各診察の結果によると、(1)昭和五一年一一月二九日付鑑定医向田道生の鑑定は、原告には妄想が存し、「感応精神病の疑い」があり、入院医療の必要はあるが、措置入院は不要という。(2)昭和五三年一月一七日付鑑定医田口勇の鑑定は、原告には幻覚、妄想があつて「精神分裂病」に罹患しており、隣家の倉ヶ崎氏に危害を加えるおそれがあり、措置入院の必要がある、という。(3)同日付鑑定医中摩昭二の鑑定は、原告には幻覚、妄想が存し、「パラノイアの疑い」があつて入院医療の必要があり、また、地域社会に慢性的心痛を及ぼすおそれがあるが、措置入院までには至らない、としている。(4)同年六月九日付鑑定医中村精吉の鑑定は、原告には幻覚、妄想が存し、「パラノイア」に罹患しており、入院医療の必要はあるが、措置入院は不要というものであつた。

(七)  前記のとおり、原告は、昭和五一年一一月二九日以降四名の鑑定医により、精神障害者として入院医療が必要である(内一名は措置入院が必要であるという)旨の診察結果を受けていた。しかし、原告自身病識を欠いているうえ、原告方の同居家族はいずれも精神障害ないし精神異常があり、その親族らも原告の入院治療等について関心を抱き、これを実行しようとする者はなく、原告に対し何らの治療も施されていなかつた。

2  <証拠略>を総合すれば、被告が原告に対し本件処分をなすに至つた事情は次のとおりであると認められ、証人栫ユウ子の証言及び原告本人尋問の結果もこれを覆すに足りず、他に右認定を左右すべき証拠はない。

(一)  昭和五三年六月八日午後一一時三〇分頃、倉ヶ崎喬が水不足のため田の見廻りをし、翌九日午前〇時三〇分頃自宅の木戸口近くへさしかかつたところ、原告が不意に飛び出してきて、やにわに懐中電燈を手にした右喬の左腕を両手で掴まえながら「泥棒を掴まえた。」と叫び、「お前がいつもお稲荷さんを家にやる。お前は泥棒だ。」と申し向け、喬が「私は泥棒ではない。離してくれ。」というのも聞き入れず、その左腕を握つたまま自宅の方へ向う同人に追随し、喬が自宅の玄関前で家の中の妻に声をかけて外燈をつけさせると、原告は、同人の腕から手を離すや、いきなり右手拳で同人の顔面を殴打し、さらにその場に仰向けに倒れた同人の上に馬乗りになり、右手拳で同人の顔面を数回殴打した後立ち上り、なおも「お前は稲荷だ。泥棒だ。」などとわめきながら、原告方へ引き上げた。原告の右暴行により、喬は治療約三週間を要する左眼上下両眼瞼挫傷及び硝子体出血の傷害を負つた。

原告は自宅へ戻ると、直ちに志布志署に電話をして同署員に「泥棒を掴まえた。」と伝え、喬もその直後頃、同署に電話をして「原告に殴られた。」と連絡した。そのため、同署員が直ちに倉ヶ崎方に赴いて喬に事情をきいたが、原告からは事情をきかないで同署に引き上げた。

(二)  志布志署は、その後調査の結果、右認定のように原告が倉ヶ崎喬に傷害を負わせた事実を確認し、前記二で述べたとおり、同署長が昭和五三年六月一二日付で被告に対し法二四条の規定に基づく通報をなし、これにより、被告は鑑定医田口勇及び同大重源治に原告の診察を命じ、措置入院が必要である旨の鑑定結果を得たので、原告に対し本件処分をなすに至つた。

3  <証拠略>によれば、原告の措置入院後の病状について、原告の主治医井上大策の被告に対する昭和五三年八月二一日付報告によると、原告は「精神分裂病」に罹患しており、表情、言語、態度とも常人と変るところはないが、倉ヶ崎喬が狐をやつて苦しめるという妄想は強く、社会復帰をすれば、同人に危害を加えるおそれが十分ある、としており、同医師の診断では、それ以後の原告の症状も右と大差のないものであること、また、同年九月七日付鑑定医佐保威彦の診察によると、原告は「パラノイア」に罹患しており、主症状である被害妄想はきわめて頑固で、加療にも拘らず改善の徴なく、倉ヶ崎家に対する加害のおそれは継続しており、措置入院の必要がある、としていることが認められる。

4  前記1ないし3の認定事実によると、原告は、本件処分以前において、昭和四七年頃から異常な言動が目立ち、特に隣家の倉ヶ崎甚右衛門ないし喬がお稲荷さん(狐)を原告方に追いやつて原告ら家族を苦しめるという頑固な被害妄想を抱き、一家の中心となつてこれに対する対抗策を講ずることにより、倉ヶ崎家のみならず、付近住民にも心労を与えることになり、遂には「警察でお稲荷さんを掴えてくれないなら、自分が鉄砲や弓で射ち殺してやりたい。」などと攻撃的言辞を弄するに至り、他人に対し危害を加えるおそれが生じていた。そして、本件処分直前に、倉ヶ崎喬に対する傷害事件が発生したものである。

ところで、原告については、昭和五一年一一月二九日以降本件処分までに五名の鑑定医が六回(鑑定医田口勇が二回)にわたり診察しているが、一名が「感応精神病の疑い」としたほかは、いずれも「精神分裂病」あるいは「パラノイア(パラノイアの疑い)」に罹患した精神病者であると診断しており、措置入院の必要を認めていない鑑定医も入院医療の必要性は肯認していた。もつとも、原告の病名については、「精神分裂病」とするものと「パラノイア(パラノイアの疑い)」とするものとに分れており、本件措置入院後の診察結果においても、原告の主治医は「精神分裂病」であるとし、他の鑑定医は「パラノイア」であるとしている。

右の点につき、証人田口勇、同中摩昭二、同大重源治の各証言によると、パラノイアとはきわめて頑固な妄想を主症状とし、精神分裂病のように人格の崩壊を来さない精神病であるとされているが、一般には精神分裂病圏内の病気であると理解されており、妄想型の精神分裂病との間には明確な区別を画し難い面のあることが窺われる。しかも、証人佐保威彦の証言によると、原告について「精神分裂病」といい、あるいは「パラノイア」と診断したとしても、精神病に罹患していることには変りなく、そのために入院治療を要することやその治療方法等について顕著な差異は存しないことが認められる。

5  以上に検討した結果を総合すれば、原告が本件処分当時「精神分裂病」又は「パラノイア」に罹患した精神病者であり、法三条にいう精神障害者に該当することは疑いないというべきである(原告がいずれの病名に該当するかは必ずしも断定できないが、この点は原告が精神障害者に該当するとの判断を左右するものではない。)。そして、本件処分直前に原告が倉ヶ崎喬に対して惹起した傷害事件は、原告の右精神障害に基因するものであると認められ、これに右事件発生に至るまでの原告の言動を加味して考えると、原告を医療及び保護のため入院させなければ、その精神障害のため他人に害を及ぼすおそれがあつたものと推認するのが相当である。

6  そうすると、本件処分に際し、鑑定医田口勇及び同大重源治が、いずれも原告が精神病者従つて精神障害者であり、かつ、措置入院を要する旨の鑑定をしたのは相当であり、被告が右鑑定結果に基づいてなした本件処分は適法になされたものというべきである。

六  よつて、本件処分の取消を求める原告の請求は理由がないので、これを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 大西浅雄 林五平 小林秀和)

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